Say@New Zealand

NZにワーキングホリデー中の29歳です☺︎

ついに憧れの外国へ

こんにちはSayです。

前回に引き続き過去をちょっと遡ってみたいと思います。

 

無駄なイキりにより英語への興味を押し込んでしまっていた当時も、心の中は外国への興味でいっぱいでした。なにがそんなに私の興味を誘っていたのか、それはきっとイケメンであり、みたことのない景色であったと思います。

 

ただ、一番に私の心を動かしていたのは『フルハウス』の人間模様であったと、大人になって思い返した今、確信を持って言えます。

 

フルハウス』は、サンフランシスコに住む3姉妹の家族が、不慮の事故でお母さんを失ってしまい、お父さんとその親友、お母さんの弟の男三人で子育てをしていくコメディードラマです。

笑いあり、涙あり。家族の絆や恋愛模様など、一つの家族から色々な感情を学びました。家族でも友達でも恋人でも、まっすぐに気持ちを表現し、たくさんのハグやキスをして、「愛してる」と言いあうその環境に憧れていました。

うちも『フルハウス』とおなじ3姉妹です。私の家族も日本の家庭にしては愛情表現が豊富な方だとおもいます。

それにしても、英語って想いの伝え方がダイレクトなんですよね。日本語吹き替えなんてもう、なかなか日本では聞かないような言い回しばかりでした。

今でも言葉フェチな私なのですが、当時からそんなところに憧れを抱き、英語を話してみたいなという願望もうまれました。

それからアメリカ人は本当に『フルハウス』の皆のような愛情表現をするのかなとか、あんな大きなお家に住んでいるのかなとか、当たり前にヤシの木があって、オープンカーが走っているのかなとか。

そんな思いと興味はイキった中学生の私からも消えていませんでした。

 

高校に入り、ついに英語が嫌いな科目になりました。

分厚いつまらない教科書、これは動詞で〜過去分詞が〜なんて、イキるとかそんなの以前に意味が不明でした。英語の時間は良い睡眠の時間となってしまいました。

 

2年生の夏、学校の交換留学制度でアメリカのシアトルに1ヶ月いけるというプログラムが発表されました。両親も積極的に私の背中を押してくれ、ついに憧れのアメリカへ。生まれて初めての外国へ。

 

長いフライトでしたが、なんの苦でもなかったし、わくわくして一睡もできなかった。それにしてもしきりに機内食が出てきたのには驚きました。アメリカンエアかデルタエアだったと思うのですが、途中で吐き気がしました。

 

初めて着いたシアトルの空港は、やたらとコーヒーの香りがして、歩く人はなんだかみんな大きく感じました。外に出るとカラッとしていた気がします。

バンに乗って学校まで向かう道で墓地があり、その日本との違いに驚きました。

 

学校につくとオリエンテーションがあり、すぐに割り当てられたホストファミリーの家族を紹介されました。早速きました!ハグ!笑

実際にされるそれはなんだか照れくさくて、どれくらい強くしていいものなのかもわからず、結局英語も何を言っているか一切わからず、でも、とてもきもちがよかったことを覚えています。

 

ホストマザーの運転でお家につくと、周りの住宅はまさにフルハウスのような感じ。私の滞在先のお家も大きくて、お庭にトランポリンもあって。二つ年下の男の子と、7、8つ年上のお姉ちゃんお兄ちゃんのいる、素敵なご家庭でした。

話していることこそわからなかったものの、いつも温かい笑顔でお話しして、ハグやキス、たくさんボディタッチをしていたことも印象的でした。

クリスチャンの家庭だったので、食事の前に皆で手を繋いで感謝を唱えました。

 

ここで一つ、私にとってのアメリカ問題点が浮上しました。

食事の量が多すぎる!そもそもの食事の回数も多すぎる!さっきアイス山盛り食ったぞ!こんどはチョコレートバーか!そして間も無く夕飯か!そんな大きさのステーキ食べたことないぞ!夕飯終わったらまたアイスか!!!!!ああ私は和食が好きだ…。白米に鮭と納豆が食べたい…。

断ればよかった話なのですが、そんな語彙力も度胸もなく、いただいたものを拒否するなんてという日本人が出てしまい、毎日胃もたれと嘔吐にやられていました。

 

それ以外の生活は本当に理想そのもので、ホストファミリーは毎晩のように遊びに連れ出してくれました。ゴーカートやホッケー、バスケ、そして野外映画。

野外映画、大きな広場にスクリーンがあって、皆その前に車を並べて、持ってきたブランケットとスナックを抱えて映画を観るんです。私にとってそれはすごく新鮮で、あ、いま日本じゃないところにいるんだ〜帰ったらお父さんとお母さんに教えてあげたいな〜って少し誇らしい気持ちにもなりました。

 

当時は、スマホなんてないし、WIFIなんて概念もありませんでした。日本の家族とは一度も連絡をとれなかったとおもいます。

たった一つインスタントカメラを持っていきましたが、どれもこれも新鮮すぎて、どこを撮ったらいいのかわからなくて、結局最後に行ったディズニーランド、カリフォルニアアドベンチャー、ユニバーサルスタジオで39枚を使ったんだと思います。

 

そのときの香りやあたたかさや、綺麗だったものやいろんな気持ち、日本に帰って家族にたくさん話しました。今のように、画面に映る写真や動画を見せて「綺麗でしょ」って簡単に伝えられなかったからこそ、しっかり脳裏に刻んで帰国し、自分の言葉で伝えました。そのアウトプットがあったからこそきっと10年以上経った今でもしっかり覚えているんですよね。

 

スマホやカメラ、通信環境の進化は本当にすごいものだなあと思います。

今や思い出を簡単に切り取り、簡単に保管することができるようになりました。いろんなひとがいままででは見ることのできなかったものを簡単に見ることができるようになり、遠く離れた国にいても簡単に連絡をとれるようになりました。

それにより、夢や世界も格段に広がり、とても素敵で便利な世の中になったと思います。

 

でも、たまに、あのときの不便で素敵な感情を思い出して、あれもすごくよかったなって気持ちになります。好きな人からのメールのセンター問い合わせも、今やりたくてもできないですからね。なんでも高速で受信するしどこでもWIFIがありますからね。既読になったらわかるしね。笑

 

話が変わってきそうなので、終わりにします。

この渡米をきっかけに私の高校生活では仲良しの友達同士のハグが流行り、今では周りの友達とハグをするのは日本でも割と普通になっています。アメリカかぶれ?それならそれで良い、だって大好きな人と出会えた喜び、ありがとうの気持ち、私は触れ合うことで何倍も伝えられる気がするから。

 

さ!今日もすてきないちにちを〜!